尾張 (瀬戸内市)とは? わかりやすく解説

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邑久町尾張

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 14:35 UTC 版)

日本 > 岡山県 > 瀬戸内市 > 邑久町尾張
邑久町尾張(尾張)
瀬戸内市役所
日本
都道府県 岡山県
市町村 瀬戸内市
旧自治体地域 邑久
郵便番号
701-4221
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邑久町尾張(おくちょう おわり)は、岡山県瀬戸内市(旧邑久町)の大字である。同市の市役所の所在地。また、かつての邑久町・邑久村および郡制時代の邑久郡の各役場所在地。瀬戸内市新設以前には、尾張(おわり)と称した。現在でも、一般的に「尾張」と通称される。明治前期以前は邑久郡に属し尾張村と称した。古くは小治とも表記され、また「おはり」とも訓じられた。

郵便番号は、〒701-4221(邑久郵便局管区)。

概要

瀬戸内市以前は邑久郡邑久町で、町域の中部にあたり千町平野の中央にあり、東西に長い区域をしている[1]

西大寺・鶴海間の主要地方道に沿って町筋をつくり、区域の西部は郵便局や学校などが集まる周辺地域の中心地である。一方、東部では千町川を境界線とし、幹線道路沿線以外は田園地帯となっている[2][1]

和名抄に載る備前国邑久郡の尾張郷の一部であったといわれ、同郷の遺称地であるとされる。慶長10年『備前日高物成帳』では、尾張保の中に包松・尾張・山手・郷村・円張・笠加下・笠加上の7村が含まれている[2]

沿革

歴史

この地方一帯は古代に開発された干拓平野といわれ『邑久郡誌』では参考文献として当地所在の城稲荷大明神の縁起を挙げ、それによると孝霊天皇の代に大地震があり、この地方が陥没、海に通じる大沼となったとされ、それを大伯の海(おおくのうみ)と呼んだ。淳和天皇(824~833)の代になると、沼の北岸にある小治(おはり)城の小物頭田原藤太夫が主命を受け、天長5年(828)に沼の開墾に着手、城稲荷大明神の加護により開墾に成功したといわれる。この文献は後世の記述の跡が一部うかがえるものの、開墾年代自体は平安時代初期であると推測される[2]

また、尾張の集落には、周囲の地と同様に条里に規制された跡が見られる[2]

江戸時代には尾張村といい岡山藩の領分。『吉備温故』には、岡山京橋まで4里、 石高2315石2斗2升、 田畑140町9反3歩半、家数188軒、男女1052人とある。枝村に小物屋村があった[2]

明治22年6月1日、町村制施行により邑久郡尾張・豊安(旧包松村)・山田庄・山手の4村を併せて邑久村と称し、尾張に村役場を置いた。郡制時代には当地に邑久郡の郡役所が置かれ、一帯の政治・経済の中枢的存在となった。昭和27年4月1日、隣村と合併して町制を実施。その後2回の合併を経て昭和33年4月1日、新たな邑久町になった[2]。その後、平成の大合併により、邑久郡長船町・牛窓町と合併し、瀬戸内市を新設、同市役所が当地の旧邑久町役場に置かれた。明治以降、現在まで邑久郡地域の中心地として続いている。

昭和中期頃までは米・麦・かんしょ・ ばれいしょ等を主要産物としたが、現在は衰退し、郊外において稲作が行われている程度である[2]

地名の由来

「はり」は「墾る(はる)」から来ていて、「墾る」とは土地を開拓することである。開墾地・新開地を「御墾り(おはり)」と称し、「尾張」や「小治」などの字を当てたといわれ、後に尾張の表記に固定されたと推測されている[2]

年表

尾張地区の出来事
年月日 出来事 備考
明治22年6月1日 町村制施行により邑久郡尾張・豊安(旧包松村)・山田庄・山手の4村を併せて同郡邑久村が発足。尾張に庁舎が置かれる。
明治32年4月1日 郡制の施行を受けて、邑久郡役所が尾張に設置される。
大正15年7月1日 郡制の廃止を受けて、邑久郡役所が廃止される。
昭和27年4月1日 邑久郡邑久村・福田村今城村豊原村本庄村笠加村が新設合併し同郡邑久町が発足。尾張に庁舎が置かれる。
昭和33年4月1日 邑久郡邑久町と同郡の周辺自治体とが新設合併を行い、新たな邑久町が発足。尾張の旧庁舎が庁舎となる。
平成16年11月1日 邑久郡邑久・牛窓長船が新設合併し、瀬戸内市が発足。邑久町役場が瀬戸内市役所本庁となる。

地勢

河川
  • 千町川

主要施設

行政施設
  • 瀬戸内市役所
  • 邑久コミュニティセンター
  • 瀬戸内市立邑久図書館
  • 尾張公会堂
  • 瀬戸内警察署尾張駐在所
教育・福祉・文化施設
  • 岡山県立邑久高等学校 - 邑久町豊安と跨がる。主要部は豊安側となる。
  • 瀬戸内市立邑久郷土資料館
  • 邑久保育園
郵便局
交通施設
  • 邑久駅 - 邑久町山田庄と跨がる。主要部は山田庄側となる。
金融機関
その他の企業・商店
神社・仏閣・その他宗教施設
  • 百枝八幡宮
  • 城稲荷神社
  • 黒住教邑久教会
史跡

交通

道路
鉄道

脚注

  1. ^ a b 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社、2013年
  2. ^ a b c d e f g h 巌津政右衛門『岡山地名事典』日本文教出版、1974年

参考文献

  • 巌津政右衛門『岡山地名事典』日本文教出版、1974年
  • 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社、2013年

関連項目

外部リンク


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