笠加村とは? わかりやすく解説

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笠加村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 22:48 UTC 版)

かさかそん
笠加村
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 新設合併
邑久村福田村今城村豊原村本庄村笠加村邑久町
現在の自治体 瀬戸内市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
邑久郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,263
国勢調査、1950年)
隣接自治体 行幸村国府村美和村、本庄村、邑久村、福田村
笠加村役場
所在地 岡山県邑久郡笠加村大字上笠加
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笠加村(かさかそん[1])は、岡山県邑久郡にあった。現在の瀬戸内市の一部にあたる。

地理

吉井川下流左岸の沖積地、同川支流・干田川流域に位置した[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、邑久郡上笠加村、下笠加村、箕輪村、北池村が合併して村制施行し、笠加村が発足[1][2]。旧村名を継承した上笠加、下笠加、箕輪、北池の4大字を編成[2]
  • 1919年(大正8年)- 電灯線架設[2]
  • 1945年(昭和20年)9月 - 枕崎台風により吉井川堤防が決壊。
  • 1947年(昭和22年)12月10日 - 郡内に昭和天皇の戦後巡幸。町長が邑久郡町村協議会会長の立場で吉井川の決壊と復旧状況を奏上する[3]
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 邑久郡邑久村、福田村、今城村、豊原村、本庄村と合併し、町制施行し邑久町を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

古来の笠賀郷・笠賀荘にちなみ、賀を加に変更した[2]

産業

  • 農業、工業、商業[2]

教育

  • 1890年(明治23年)芦田小学校を閉校し、字上笠加に淳風尋常小学校を開校[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』181頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』281頁。
  3. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、583頁。ISBN 978-4-487-74410-7 

参考文献

関連項目




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