行幸村 (岡山県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 22:50 UTC 版)
| みゆきそん 行幸村 |
|
|---|---|
| 廃止日 | 1955年3月31日 |
| 廃止理由 | 新設合併 美和村、国府村、行幸村 → 長船町 |
| 現在の自治体 | 瀬戸内市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 中国地方(山陽地方) |
| 都道府県 | 岡山県 |
| 郡 | 邑久郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 総人口 | 2,735人 (国勢調査、1950年) |
| 隣接自治体 | 国府村、邑久町、上道郡上道町、赤磐郡瀬戸町、和気郡鶴山村 |
| 行幸村役場 | |
| 所在地 | 岡山県邑久郡行幸村大字服部 |
| ウィキプロジェクト | |
行幸村(みゆきそん[1][2])は、岡山県邑久郡にあった村。現在の瀬戸内市の一部にあたる。
地理
歴史
- 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、邑久郡服部村、長船村、八日市村、福岡村が合併して村制施行し、行幸村が発足[1][2]。旧村名を継承した服部、長船、八日市、福岡の4大字を編成[2]。
- 1945年(昭和20年)9月 - 枕崎台風により吉井川堤防が決壊。
- 1947年(昭和22年)12月10日 - 郡内に昭和天皇の戦後巡幸。村長が吉井川決壊に伴う惨状と復旧状況の実情について奏上する[3]。
- 1955年(昭和30年)3月31日、邑久郡美和村、国府村と合併し、町制施行し長船町を新設して廃止された[1][2]。
産業
- 農業[2]
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 33 岡山県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
- 行幸村_(岡山県)のページへのリンク