行弘寺とは? わかりやすく解説

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行弘寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 16:47 UTC 版)

行弘寺
所在地 埼玉県さいたま市南区太田窪2310
位置 北緯35度51分7.5秒 東経139度41分2.5秒 / 北緯35.852083度 東経139.684028度 / 35.852083; 139.684028座標: 北緯35度51分7.5秒 東経139度41分2.5秒 / 北緯35.852083度 東経139.684028度 / 35.852083; 139.684028
山号 龍燈山
宗派 天台寺門宗
創建年 大同2年(807年
別称 善前不動
札所等 足立百不動 第100番
文化財 足立百不動尊供養塔(さいたま市指定有形文化財)、行弘寺のツバキ(さいたま市指定天然記念物)
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行弘寺(ぎょうこうじ)は、埼玉県さいたま市南区にある天台寺門宗寺院

歴史

807年大同2年)に開山された。現在の所属宗派は天台寺門宗であるが、江戸時代までは修験道本山派の寺院であり、武蔵国足立郡中尾村(現・さいたま市緑区中尾)にあった「玉林院」の末寺であった[1][2]

1968年昭和43年)、不動堂が焼失したが、この不動堂は旧玉林院の本堂を移築したものといわれている[3]

境内には、「星野順栄の寿碑」と呼ばれる筆塚がある。星野順栄とは当寺の住職であり、寺子屋の師匠でもあった。順栄存命中[4]1893年明治26年)に教え子によって建てられたものである[3]

玉林院について

玉林院(ぎょくりんいん)は、武蔵国足立郡中尾村(現・さいたま市緑区中尾)にあった修験道本山派の寺院[2]

790年延暦9年)、黒珍によって開山された。江戸時代は20~30か寺の末寺を擁していたという。1874年明治7年)、神仏分離政策により廃寺となった[2]

現在、跡地には学校法人饗庭学園の幼稚園「あかつき幼稚園」が建てられている[2]

文化財

  • 足立百不動尊供養塔(さいたま市指定有形文化財 昭和60年3月28日指定)[5]
  • 行弘寺のツバキ(さいたま市指定天然記念物 昭和62年3月31日指定)[6]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 谷田地区自治会連合会さいたま市南区自治会連合会
  2. ^ a b c d 青木義脩、丹治健蔵 著『埼玉ふるさと散歩(浦和市・与野市)』さきたま出版会、1992年、50p
  3. ^ a b 青木義脩、丹治健蔵 著『埼玉ふるさと散歩(浦和市・与野市)』さきたま出版会、1992年、58p
  4. ^ 筆塚は通常、師匠の死後に建てられることが多い。
  5. ^ 足立百不動尊供養塔さいたま市
  6. ^ 行弘寺のツバキさいたま市

参考文献

  • 青木義脩、丹治健蔵 著『埼玉ふるさと散歩(浦和市・与野市)』さきたま出版会、1992年

関連項目




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