尾崎2佐のGスーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 15:08 UTC 版)
1983年、航空自衛隊百里基地近くの鹿島灘沖で地元の漁師が網に引っかかったオレンジ色の物体と人間のものと思われる大腿骨1本を引き上げた。調査の結果、殉職時に尾崎2佐が着用していた耐Gスーツと尾崎2佐本人の遺骨であることが判明。義典たち遺族に引渡された。義典は当時、防衛大学校入校前の17歳。10年ぶりの父親との再会であった。やがて航空自衛官となった義典は「これ以上、事故による遺族を出さないためにも父にパイロットを守ってほしい。」との思いからかつて父が所属した百里基地に展示することを決意。尾崎2佐は後身のパイロットたちを守り続けていた。ファントムの退役に伴い、同機を最後まで運用してきた百里基地の第301飛行隊は、三沢基地(青森県)に移り、F-35Aの部隊となった。 スーツは今、「後輩パイロットを守る」という長い任務を終え、尾崎空将の手元に戻った。 「今までファントムを守ってくれてありがとう」。尾崎空将は、そうスーツを労っている。。
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