尾崎による演説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 14:55 UTC 版)
文部大臣に就任した尾崎行雄は旧進歩党系の出身であり、当時41歳と閣内最年少者であった。尾崎は旧来の内閣が行ってきた、教育者に対する言論抑制措置の多くを撤廃し、教育会から支持を集めつつあった。しかし明治天皇が「就中文部省の如きは(困難が)最も甚しからん」と述べたように、尾崎による教育改革の実現は困難であるという見方も強かった。 8月22日、尾崎は帝国教育会の茶話会に招かれ、500名ほどの教育関係者の前で演説を行った。演説の原稿は存在しておらず、速記録や各新聞報道でも微妙に差異があるため正確な内容は不明である。基本的な内容は教育者の意見表明の権利を尊重し、また拝金主義の風潮が起こっていることを批判し、外国人の子供に対するいじめ問題が起きていることについても触れたもので、大きな拍手が7度も起こるなどその場では特に問題にならなかった。 このうち、後に「共和演説」として問題とされたのは拝金主義批判の部分の演説である。尾崎はアメリカの共和制が崩壊しないのは金に左右されない思想を持っているからであるとした上で、日本はそうではなく、政界を始めとした社会に「拝金宗」が蔓延していると指摘した。ここで「ありえない」とした上で「日本が共和制となった場合には」「三井、三菱が大統領の候補者となる」という趣旨の発言を行った。
※この「尾崎による演説」の解説は、「共和演説事件」の解説の一部です。
「尾崎による演説」を含む「共和演説事件」の記事については、「共和演説事件」の概要を参照ください。
- 尾崎による演説のページへのリンク