小野 大樹
小野大樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 18:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 古墳時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 大樹臣、春日小野大樹 |
主君 | 雄略天皇 |
氏族 | 春日臣→小野臣 |
父母 | 父:春日淵名?、岡上臣か[1] |
子 | 止由古臣?、仲若子臣?、杼岐子臣?、廣子臣?、野依臣か[1] |
小野 大樹(おの の おおき、生没年不詳)は、古墳時代の豪族。姓は臣。大樹臣とも表記され、春日小野大樹の複姓も見られる。雄略天皇の命で文石小麻呂の討伐に派遣され、小麻呂の家を焼き払った[2]。
山背国小野里(現京都府京都市山科区小野)に居り、春日小野臣(かすがのおののおみ)の姓を負ったとされる[3]。
系譜
「妻木家譜」や『皇胤志』などの系図では淵名臣の息子としているが[4]、世代的に見て大樹臣は人花命の孫で岡上臣の子とするのが妥当と見る説があり[5]、これに従えば野依臣は大樹臣の子と見られる[1]。
脚注
- ^ a b c 宝賀寿男「第3図 和珥氏族の系図(試案)」『古代氏族の研究① 和珥氏 中国江南から来た海神族の流れ』青垣出版、2012年、135頁。
- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “春日小野大樹(かすがのおのの おおき)とは” (日本語). コトバンク. 2020年7月16日閲覧。
- ^ a b c d e 宝賀寿男「第2章 皇族系氏族 第3節 和珥氏族 1和邇臣、春日臣」『古代氏族系譜集成』上巻、古代氏族研究会、1986年、273頁。
- ^ 宝賀寿男「第2章 皇族系氏族 第3節 和珥氏族 1和邇臣、春日臣」『古代氏族系譜集成』上巻、古代氏族研究会、1986年、275頁。
- ^ 宝賀寿男「和珥氏の主な諸流と後裔・諸氏」『古代氏族の研究① 和珥氏 中国江南から来た海神族の流れ』青垣出版、2012年、82頁。
関連項目
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