小田原開城以後の豊臣政権下で
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「後北条氏」の記事における「小田原開城以後の豊臣政権下で」の解説
小田原城開城の際、隠居の氏政および氏照は切腹、鉢形城で捕虜となった氏邦は出家となり前田利家に預けられた。当主の氏直は助命されて高野山に流された。謹慎は早々に解除され、大名待遇で大阪城下に屋敷を与えられ、また賄領1万石を給され、徐々に格式を回復しつつある最中の翌天正19年(1591年)、氏直は疱瘡にかかり、数え30の若さで死去した。氏直には男子がいなかったため、北条氏の家督は叔父の氏規に継承され、河内国丹南河内二郡において6,980石余を給う。その子氏盛も1591年に下野国内で4000石を拝領しており、1600年(慶長5年)の氏規の死後に氏規の遺領も次いで都合1万1000石の大名となった。
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