小早川隆景配下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 16:35 UTC 版)
その後は小早川隆景の麾下に属し、天正13年(1585年)の四国攻めでは隆景に従って伊予国金子城攻めに参加し、負傷しつつも武功を挙げ、天正14年(1586年)の九州平定の香春岳城の戦いにも参加。天正18年(1590年)の小田原征伐では豊臣秀吉の命で隆景が清洲城の抑えを命じられたが、隆景は秀吉に同行して小田原へ向かう事となったため、景幸らが清洲城に残って在番を務めた。小田原征伐から帰国した景幸は、嫡男の元重に所領を譲り、自らは隆景の家臣となって筑前国に所領を与えられた。またこの時、景幸は隆景の家老である村上景親の下に付けられている。天正20年(1592年)4月から始まる文禄の役では隆景に従って朝鮮に渡海した。
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