小峰墓地とは? わかりやすく解説

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小峰墓地

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 03:24 UTC 版)

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小峰墓地(おみねぼち)は熊本県熊本市中央区黒髪にある墓地公園である。小峯墓地(こみねぼち)とした表現もみられる[1]熊本城鬼門の丑寅にあたり、草深いところであった。その一角に陸軍墓地があり、西南戦争から日清戦争日露戦争第二次大戦までの13,083柱の戦没者の霊域であったが、1954年に熊本市が整理して、墓地公園とした[2]

忠霊塔その他

墓地公園にした時に、ここに眠る英霊を弔うために画家海老原喜之助がパリのサロン・ド・メエに出品した油絵「殉教者」を自ら彫刻にして、忠霊塔にはめこんだ。幅23メートル、奥行11メートルの土台に高さ7メートルの忠霊塔が1955年3月に完成した。忠霊塔の文字は寒巌義尹の「大渡橋由来記」からとった。ほかに、満州事変戦没者合祀碑、支那事変大東亜戦争忠魂碑、交通事故者慰霊の塔、五高生碑、海南之変忠霊之碑、原爆犠牲者を弔う碑(原爆50年後の1995年建立)などがある。

熊本市営小峰墓地の基本データ

  • 霊園区分 - 公営
  • 総面積
  • 宗旨・宗教 - 宗教不問
  • 総区画数
  • 管轄の自治体 - 熊本県熊本市 管理事務所(電話略)健康福祉局 健康政策部 健康福祉政策課
  • 設備・施設

著名人の墓地

  • 秋山玉山藩校時習館初代教授で、詩文で有名であり、細川重賢の信任あつかった。
  • 有馬源内:時習館で学び、国事に奔走。明治7年の台湾の役、その後西南戦争に参加。3年の刑をうけ、のち実業家となる。熊本県議会の初代議長。北海道で振殖事業を起こす。
  • 宮部鼎蔵:(みやべていぞう)尊王攘夷派の武士。池田屋で自刃。墓は京都にもある。
  • 加屋霽堅:(かやはるかた)太田黒伴雄と共に神風連の乱を起こした。墓は大江町是法の共同墓地にあったが、戦後他の多くの神風連関係者と共に小峰墓地に移された。但し太田黒伴雄の墓の記載はない。
  • 平井数馬
  • 行徳健男
  • 佐々弘雄:九州大学法文学部教授。1946年熊本日日新聞社社長。
  • 佐々國雄
  • 井芹経平:現・熊本県立済々黌高等学校を育てた。
  • 野田寛:現・熊本県立熊本高等学校初代校長。
  • 谷口長雄:熊本県医学校を設立した。
  • 谷口弥三郎:熊本県市医師会長。参議院議員。「優生保護法」(現・母体保護法)を成立させた。
  • 大原清之助:細菌学者。熊本県医師会長。
  • 松崎吉次郎:熊本城天守閣再建にあたって、5000万円寄付した。また平御櫓の建設費200万円を寄贈している。
  • 伊豆富人熊本日日新聞社社長。熊本放送を設立した。
  • 海老原喜之助:画家
  • 星子敏雄:熊本市長
  • 阿部次郎:学者の阿部次郎とは別人。熊本市議2期、議長2期、市教育委員長、俳誌「阿蘇」の編集発行人。熊本信用金庫理事長。
  • 山崎正董:熊本医科大学学長

脚注

  1. ^ 熊本市営 小峯墓地 いいお墓
  2. ^ 高田[1998:1105]

参考文献

  • 高田泰史「小峰墓地」『平成肥後国誌 上』平成肥後国誌刊行会、1998年、pp1105 - 1127。

参考

外部リンク

座標: 北緯32度49分9.2秒 東経130度43分43.4秒 / 北緯32.819222度 東経130.728722度 / 32.819222; 130.728722




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