小山内薫の意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:31 UTC 版)
一方、小山内は『演劇新潮』の8月号に「山本有三君その他演劇新潮の同人諸君に読んで考えて貰う」と題して、「演劇の為に」「未来の為に」「民衆の為に」の三項目による反論を行った。 A 演劇の為に築地小劇場は――総ての劇場がそうであるように――演劇の為に存在する。築地小劇場は演劇の為に存在する。そして、戯曲の為には存在しない。戯曲は文学である。文学の為に存在する機関は新聞である、雑誌である、単行本である――印刷である。文学の為に存在するものは劇場ではない。戯曲――即ち文学――を味わうには、閑寂な書斎ほど好いところはない。劇場は演劇を提供する機関である。劇場は戯曲を紹介する場所ではない。築地小劇場は演劇の為に戯曲を求める。戯曲の為に戯曲は求めない。築地小劇場は演劇として価値のあるものを提供したいと祈願している。築地小劇場が使用する戯曲の価値は、文学の批評に任して置く。築地小劇場の価値は、それが提供する演劇の価値である。それが使用する戯曲の価値ではない。 — 築地小劇場は何の為に存在するか この後、小山内、土方と『演劇新潮』の同人で話し合いが行われ、劇壇側は西洋の芝居に限定しない事と日本の将来の芝居の為に存在している事を明言した。
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