尉祐の謀反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
呂光の主簿である尉祐は奸佞にして傾薄な人物であり、前秦においては見限られていた人物であったが、彭済と共に謀略を為して梁熙を捕らえた事で、呂光より深く寵任されるようになった。同月、呂光はその尉祐の讒言を信じ、南安の姚皓・天水の尹景ら名士10人余りを誅殺したので、涼州の民は次第に離心していった。 同月、呂光は尉祐を寧遠将軍・金城郡太守に抜擢したが、尉祐は允吾まで向かった所で突如反旗を翻し、外城を襲って拠点とした。尉祐の従弟である尉随もまた鶉陰に拠ってこれに呼応した。呂光は将軍魏真に尉随討伐を命じ、尉随は敗れて尉祐の下へ逃走した。呂光はさらに姜飛に尉祐を攻撃させると、姜飛はこれを破って尉祐を興城まで敗走させた。姜飛の司馬張象・参軍郭雅は姜飛を謀殺して尉祐に応じようと考えたが、事前に発覚した事で逃走した。その後も尉祐は興城に拠り、百姓を扇動して胡人・漢人問わず多くを従わせるなどし、一定の勢力を保ったようであるが、これ以降の詳しい動向は不明である。
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