対蝦夷戦争期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 14:22 UTC 版)
次に名が上がるのは天平9年(737年)1月の大野東人である。彼は最初の鎮守将軍とも目される人物で、後世まで範とされる支配体制を陸奥・出羽に作り出した。大伴古麻呂は赴任前に橘奈良麻呂の乱に遭った。次の藤原朝狩は陸奥に桃生城、出羽に雄勝城を築いて東北地方の軍事・民政を推進した。いわゆる38年戦争の時代には、大伴駿河麻呂、藤原小黒麻呂、大伴家持、坂上田村麻呂が活躍した。 按察使が任地に赴かず遙任する傾向は他国ではままみられたが、8世紀の陸奥按察使で赴任の用意がなかったのは藤原田麻呂だけである。陸奥按察使は陸奥守か鎮守将軍と兼任することが多かった。参議のような高官が特に下向することもしばしばであった。陸奥・出羽両国を軍事面で束ねる鎮守将軍とも兼任することが多かったが、別人が立つときには按察使のほうが上位であった。
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