富樫洋一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 富樫洋一の意味・解説 

富樫洋一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/20 09:38 UTC 版)

富樫 洋一(とがし よういち、1951年11月23日 - 2006年2月7日)は、日本サッカージャーナリストコメンテーター

経歴・人物

東京都出身。元第三管区海上保安本部長の富樫勘七を父に持つ。慶應義塾大学文学部卒業後、書籍編集者・予備校英語講師等を経て、1985年からフリーのサッカーライターとして活動。また、執筆業の傍ら数多くのサッカー番組に出演した。

セリエA(特にインテル)をこよなく愛し、イタリア往年の名選手・ジャンルカ・ヴィアリトト・スキラッチにちなみ、自ら「ジャンルカ・トト・富樫」を名乗った[1]

WOWOWスカパー!のセリエA中継ではコメンテーター兼アドバイザーを務めた。また、フロムワンの設立に携わり、同社発行のセリエA専門誌『CALCiO2002』初代編集長(のち編集顧問)でもあった。また海外サッカーのみならず、Jリーグの紹介にも努めていた。横浜FCのクラブメンバー・株主でもあった。

アフリカサッカー界にも造詣が深く、1990年代初めからアフリカネイションズカップを現地に赴き精力的に取材を行っていた。その時代、スポーツ・アイ ESPNで実況を担当した倉敷保雄によると、自ら放映権の売り込みも行っていたという。

2006年2月、風邪による体調不良を押してエジプトカイロで行われた同大会を取材していたが、滞在していた現地のホテルにおいて睡眠中に呼吸困難となり急死した。54歳没。

アフリカサッカー連盟はアフリカサッカーを日本に紹介してくれた富樫の功績と活動に敬意を表し、アフリカネイションズカップ2006の決勝戦となったエジプトコートジボワール戦(カイロ国際スタジアム)のキックオフ前にスタジアム全体で黙祷を捧げた[1]

スカパー!では、2010年にアフリカ大陸で初めて開かれたFIFAワールドカップである南アフリカ大会のハイライト番組「デイリーハイライト」に富樫へのオマージュとして「ジャンルカなう」のサブタイトルを付けている。「ジャンルカなう」では試合のない日には、日々野真理が富樫宅を取材するという特集が組まれた。

著書

脚注

  1. ^ a b 田村修一 (2006年3月9日). “最高のサッカーファン、富樫洋一氏を悼む。”. Sports Graphic Number Web. 2014年6月12日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「富樫洋一」の関連用語

富樫洋一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



富樫洋一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの富樫洋一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS