寄神美好
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寄神 美好(よりがみ みよし、1920年(大正9年)2月9日 - 2003年(平成15年)7月20日)は、日本の実業家。淡路島出身。寄神建設株式会社の創業者。港湾工事における工法等の発明を行っており、数々の特許も取得している。
経歴
1920年(大正9年)2月 兵庫県津名郡仮屋町(現:淡路市仮屋)に生まれる。1934年(昭和9年)、大工の修行のため淡路島から神戸に渡る。1938年(昭和13年)3月 、潜水業を営む叔父である寄神末吉の養子となる。養父の下で潜水業の修行を開始。1940年(昭和15年)同郷の千鶴と結婚。1941年(昭和16年) 呉海軍軍事部に徴用され広島県呉市に向かう。港務部施設課に配属され軍港の整備・改修に従事する。
1945年(昭和20年)8月 、広島県江田島で終戦を迎える。神戸に戻り戦禍により神戸港に沈んだ船舶のサルベージに従事する。1948年(昭和23年)12月 、海上保安庁法制定によりサルベージ業の許可を受ける。1949年(昭和24年)1月、神戸市兵庫区島上町で「寄神海事工業所」を創業。1950年(昭和25年)8月、寄神海事工業所を株式会社に改組して社長に就任した。
1954年(昭和29年)、神戸港初の大型港湾土木プロジェクト「東部海面埋立て工事」に参画し、サルベージ業から総合建設業へと脱却を謀る。1957年(昭和32年)7月、寄神海事工業所 として建設業登録を受ける。また、同年に着工された神戸港「西部海面埋立て第2工区」プロジェクトにも参画し、大型作業船の建造を推進した。1961年(昭和36年)頃から経営者として企業規模を急拡大させることに成功し、売上高、従業員ともに倍増を遂げ、実業家としての地位を築き始める。
1973年(昭和48年)、故郷の淡路島北淡町(現淡路市)の平林地区の開発事業許可を受け、埋立用土砂の自社開発に着手し、淡路島の経済的発展や雇用確保などに大きく寄与する。
1993年(平成5年)11月、藍綬褒章受章[1]。1994年(平成6年)、寄神建設株式会社 代表取締役会長に就任[1]。1997年(平成9年)津名郡東浦町名誉町民[1]。
2003年(平成15年)7月、83歳で死去。
港湾工事に関する発明
- 水上構造物の据付方法およびこれに用いる台船 (共同による発明)
- 起重機船における吊りフックの揺れ止め装置 (共同による発明)
出典
- ^ a b c “寄神建設の歴史|早わかり!寄神建設”. www.yorigami.co.jp. 寄神建設株式会社. 2025年6月16日閲覧。
固有名詞の分類
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