家系及び幼年時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:44 UTC 版)
「ニコラス・ミクルーホ=マクライ」の記事における「家系及び幼年時代」の解説
ロシア帝国ノヴゴロド付近の飯場(Языково)にて、モスクワ・サンクトペテルブルク鉄道の建設現場で働く土木技術者の子として生まれる。ウクライナ人の父は、オカキフ要塞攻略など露土戦争中の武勲により帝国貴族の称号を授けられた、ツァポロツィアン・コサックステパン・ミクルーハの末裔であった。母のエカチェリーナ・セメノヴナはドイツ系ポーランド人(彼女の3人の兄弟は1863年の1月蜂起に参加)。 サンクトペテルブルクの初等中学校に学んだ後、サンクトペテルブルク大学へ進学。しかし、学生運動参加により大学を放校処分となったため、ヨーロッパへ遊学し、イェーナ大学にて動物学者エルンスト・ヘッケルの門下生となった。生物学者のアントン・ドーンとも親交を深め、後の研究所設立のアイディアを着想することとなる。
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