宮館貞一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宮館貞一の意味・解説 

宮館貞一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 04:00 UTC 版)

宮館貞一

宮館 貞一(みやだて ていいち、1870年明治3年)7月 - 1933年昭和8年)10月26日[1])は、朝鮮総督府官僚青森県弘前市長

経歴

青森県弘前市出身。東奥義塾を経て、1891年(明治24年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業した[2]1895年(明治28年)、自由新聞社に入社し、翌年に警視庁警部となり、同外事係長となった。1906年(明治39年)、統監府に転じ、理事庁警視となった。朝鮮総督府警務総監部庶務課長、朝鮮総督府事務官群山府尹、平壌府尹、大邱府尹を歴任した。1926年大正15年)に退官した後は、京城府の英字新聞『セウル・プレス英語版』の社長に就任した。

1930年(昭和5年)7月、弘前市長に選任されたが、1933年8月に病のため辞職した。

脚注

  1. ^ 東奥年鑑 1934, p. 633.
  2. ^ 『大正12年 中央大学学員会名簿』中央大学学員会、1923年、p.271。

参考文献

  • 『昭和9年 東奥年鑑』東奥日報社、1934年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮館貞一」の関連用語

宮館貞一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮館貞一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮館貞一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS