宮川脳病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 17:44 UTC 版)
宮川脳病院(みやがわのうびょういん)は三重県度会郡小俣町(現・伊勢市)にあった医療機関(精神病院)。
- ^ 『小俣町史 通史編』343ページ
- ^ 「宮川脳病院の県指定は 決定までに時日を要す?」伊勢新聞 1930年(昭和5年)6月5日付 2面
- ^ a b 伊勢新聞 1934年(昭和9年)2月26日付 3面の病院広告より「三重県立代用精神病院」の記述が入る。
- ^ a b 伊勢新聞 1947年(昭和22年)9月28日付 2面の病院院主からの閉院広告(同年9月26日付)より
- ^ 『小俣町史 通史編』458ページ
- ^ a b c d 「三重県の誇り 宮川脳病院 精神病者の福音」伊勢新聞 1929年(昭和4年)9月23日付 2面
- ^ a b c 「早期手当を施せば 精神病は全治する 渡邊宮川脳病院長談」伊勢新聞 1941年(昭和16年)3月20日付 4面
- ^ 伊勢新聞 1947年(昭和22年)9月28日付 2面の病院閉院広告では同年11月開業と記述されている。
- ^ 「宮川脳病院 病室其他増築」伊勢新聞 1935年(昭和10年)9月9日付 2面
- ^ 「一時に十名 全治退院 宮川脳病院患者」伊勢新聞 1936年(昭和11年)4月4日付 2面
- ^ a b 「続けざまに 宮川脳病院 増築工事行ふ」伊勢新聞 1937年(昭和12年)2月1日付 2面
- ^ 「小俣町一帯浸水 宮川病院 無事神都公会堂に収容」伊勢新聞 1938年(昭和13年)8月3日付 夕刊 2面
- ^ 伊勢新聞の病院広告をみると1944年(昭和19年)11月1日までは「宮川脳病院」、同年11月9日以降は「宮川病院」となっている。
- ^ 『三重県 人物と事業』宮川脳病院の項より
- ^ 1929年9月23日付 伊勢新聞では敷地面積を13,000坪(約43,000m2)、建物総坪数を334坪(約1,100m2)としている。
- ^ 「宮川脳病院患者 続々退院する」伊勢新聞 1937年(昭和12年)10月1日付 2面では入院患者は140余名と記述
- ^ 「患者の慰安 宮川脳病院」伊勢新聞 1938年(昭和13年)1月7日付 2面では入院患者は150余名と記述
- ^ a b 『伊勢年鑑 昭和16年版』特裏3ページの病院広告より
- ^ a b 『伊勢年鑑 昭和23年版』広告58ページの病院広告より
- ^ 伊勢新聞 1930年(昭和5年)1月16日付 3面の病院広告に「元名古屋東山脳病院長」との記載あり
- ^ 「宮川脳病院の新院長に加藤博士」伊勢新聞 1931年(昭和6年)4月15日付 2面
- ^ 「伊勢大衆講座 精神病の話(一)~(四)」伊勢新聞 1931年(昭和6年)8月24日、25日、26日、28日付 各1面
- ^ 「二見腦病院の形骸が腐りかけた 許可取消で腰が起たず 僅か八百圓で差押へ」伊勢新聞 1925年6月25日付(24日夕刊)2面、「所有者が知らぬ間に 二見腦病院取壤さる 院主から山田署へ差止願ひ」伊勢新聞 1925年10月5日付(朝刊)5面
[続きの解説]
「宮川脳病院」の続きの解説一覧
- 1 宮川脳病院とは
- 2 宮川脳病院の概要
- 3 院主
- 4 脚注
固有名詞の分類
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