宥和政策とポーランド問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 07:37 UTC 版)
「第二次世界大戦の背景」の記事における「宥和政策とポーランド問題」の解説
英仏では、ナチス・ドイツの軍備拡張政策に対して、第一次世界大戦で受けた膨大な損害の反動から国民は平和の継続を求め、また圧力を強めつつあった共産主義およびソビエト連邦にドイツが対抗することを期待して、宥和政策を取ることに終始していた。ヒトラーは、ドイツ周辺の国々におけるドイツ系住民の処遇問題に対しては民族自決主義を主張し、ドイツ人居住地域のドイツへの併合を要求した。オーストリアには第一次世界大戦後ドイツとの一体を望む声がありながら、ドイツの力を殺ぐ目的でサン=ジェルマン条約にて禁止されていた。しかしオーストリア政府の反対にもかかわらず、1938年3月オーストリア国民の熱狂的とも言える支持のもとオーストリアを併合した。
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