官軍襲来による危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 02:00 UTC 版)
張士誠の反乱を元朝は極めて深刻に受け止めた。なぜなら、反乱が起こった淮東は、全国最大の塩の生産地であり、かつ江南の物資を大都に輸送する大動脈である大運河が通っている地域であったからである。塩の専売を最大の財源とし、経済面で江南の豊かな物資に依存している元朝にとってはまさに死活問題であった。そのため、右丞相のトクト(脱脱)を司令官とする大規模な討伐軍がただちに発せられた。 高麗や、西域からも兵を参集させた、トクト率いる大軍は、張士誠の拠点を次々に攻略、高郵を包囲された張士誠は絶体絶命の窮地に陥った。ところが、朝廷内部での権力闘争からトクトは突如として失脚し、司令官の職を罷免されて連行されてしまう。これによって混乱に陥った元軍を打ち破ることで、張士誠は危機を脱することができた。 この戦い以後、元朝の江南に対する影響力は著しく低下し、造反勢力が割拠することとなった。
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