宗教改革・ルーテル教会に対して の行動
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「イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)」の記事における「宗教改革・ルーテル教会に対して の行動」の解説
1576年から1581年にかけて、イェレミアス総主教は正教会とプロテスタントとの間における最初の重要な神学的交流に関わった。ルター派のヤーコプ・アンドレー(Jakob Andreae)とマルティン・クルシウス(Martin Crusius)によりテュービンゲンから、アウクスブルク信仰告白の写しの翻訳が総主教のもとに送られた。これに対しイェレミアス2世は3通の返信として知られる反駁を書き、正教会が宗教改革を必要としていない事を明らかにした。ルター派の側は1通目と2通目に対しては返答を行ったが、3通目に対しては返答せず、両教派は不一致の膠着状態に行き詰った。彼等によって行われたこの往復書簡の重要性は、精確かつ明らかに、正教会とプロテスタントがお互いに異なる立場に立つ事を示したという点にある。
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