完全無欠のロックンローラーとは? わかりやすく解説

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完全無欠のロックンローラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 02:05 UTC 版)

「完全無欠のロックンローラー」
アラジンシングル
初出アルバム『ALADDIN VS アラジン』
B面 道化師
リリース
規格 シングル盤
ジャンル J-POP
コミックソング
レーベル AARD-VARK
キャニオン・レコード
作詞・作曲 高原茂仁
チャート最高順位
アラジン シングル 年表
- 完全無欠のロックンローラー
(1981年)
ロックンローラー大放送
(1982年)
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完全無欠のロックンローラー」(かんぜんむけつのロックンローラー)は、アラジンのデビューシングル1981年11月14日キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)から発売された。

解説

アラジンは当時、高原茂仁(現芸名:高原兄)を部長とする名古屋商科大学の学生バンドであった。高原は高校時代からヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場しており、名古屋に来てからもポプコンの主催者ヤマハの作曲・編曲教室に通い、春・秋のポプコンに応募し続けた[2]。どういうタイプの曲なら目立つか、とポップス調、フォーク調、バラードと、その時々の流行に合わせて、さまざま試み、ひたすらグランプリ狙いに徹する[2]

アラジンは高原が大学二年の時、仲間と結成したもので、バンド名の由来は、フォークソング同好会の部室にあった石油ストーブ「アラジンブルーフレームヒーター」から。「完全無欠のロックンローラー」の着想は、「スネークマンショー」からで[2]、「次はこの線で狙える」と本曲を製作し、服装や踊りの研究のため、原宿竹の子族を何度も見学に行ったという[2]、高原にとって10回目のポプコン挑戦だった本曲で、念願のグランプリを獲得、そのままその曲がファースト・シングルとして採用されてプロデビューした。

TBSテレビザ・ベストテン」には1981年12月17日に「今週のスポットライト」で初出演。その後翌1982年1月21日に第9位で初ランクイン、同年2月18日(第10位)迄通算5週間10位以内に入っていた(最高位は同年2月4日の第5位)[1]

しかしその後はこの曲のような目立ったヒット曲に恵まれず、後に一発屋と称される音楽バンドになった。詳細はアラジン (バンド)高原兄ヤマハポピュラーソングコンテストにも記載あり。

収録曲

(全作詞・作曲: 高原茂仁 、編曲: アラジン)

  1. 完全無欠のロックンローラー(4:16)
  2. 道化師

カバー

完全無欠のロックンローラー
  • 斎藤清六(1982年、アルバム『なんなんなんだ!?』収録)
  • RIKI(2010年、カバーアルバム『男唄』収録[3]

その他

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f オリコンランキング情報サービス「you大樹」
  2. ^ a b c d 『週刊朝日』1981年12月4日号 | A-side = 181頁
  3. ^ RIKIの男気全開カバー集「男唄」ドンキ盤にはあの名曲も”. 音楽ナタリー. 株式会社ナターシャ (2010年7月21日). 2021年9月22日閲覧。



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