安養寺 (大田区)とは? わかりやすく解説

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安養寺 (大田区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/29 01:37 UTC 版)

安養寺
所在地 東京都大田区西六郷2-33-10
位置 北緯35度32分58.7秒 東経139度42分18.3秒 / 北緯35.549639度 東経139.705083度 / 35.549639; 139.705083座標: 北緯35度32分58.7秒 東経139度42分18.3秒 / 北緯35.549639度 東経139.705083度 / 35.549639; 139.705083
山号 医王山[1]
院号 世尊院[2]
宗派 真言宗智山派
本尊 金剛界五智如来
創建年 奈良時代
開山 行基
中興年 永禄年間(1558年1570年
中興 栄伝
別称 古川薬師
札所等 玉川八十八ヶ所霊場69番札所、東海三十三観音霊場19番札所
文化財 木造薬師如来坐像(東京都重要文化財)、木造釈迦如来坐像(東京都重要文化財)、木造阿弥陀如来坐像(東京都重要文化財)
法人番号 4010805000074
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安養寺(あんようじ)は、東京都大田区にある真言宗智山派寺院

概要

奈良時代行基によって開山されたといわれている。ただ現存の薬師如来釈迦如来阿弥陀如来の3坐像が平安時代の作で東京都の重要文化財になっていることから、相当の古刹であることが推測される[3]

その後、この地の地頭を務めた行方某が、他宗の寺院の存在を認めない狂信的な法華宗の信者で、池上本門寺の日現との法論でも、露骨な依怙贔屓により、無理やり「負け」とされ、廃寺に追い込まれたという[3]

永禄年間(1558年1570年)になり、栄伝によって再興された[3]

明治末期から大正期にかけて、多摩川の河川改修工事があり、境内の多くが河川敷となってしまい、現在地まで縮小されている[3]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 新編武蔵風土記稿 古川村.
  2. ^ 江戸名所図会.
  3. ^ a b c d 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年、100-103p

参考文献

関連項目




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