八幡講
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:33 UTC 版)
明治初年の神仏分離に際して、蒲田八幡宮の八幡神像を妙安寺の七面堂に移して毎年1月に八幡講が行われていた。この像は寺伝によると、右手に軍配、左手に経巻を持つ僧形で、日現が古川薬師安養寺との法論に勝利したことを記念し仁王像とともに持ち帰り、論破の証左として軍配を持たせたとものいう。東京大空襲によるこの像の焼失により八幡講は廃止され、再開されていない。
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