安芸品川氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 06:50 UTC 版)
安芸国の守護大名清和源氏安芸武田氏に仕えた一族。鎌倉時代、武田氏の庶流である品川信民が安芸国可部荘(広島県安佐南区)の地頭職として赴任したのが始まりとされる。品河氏ともいう。『応仁武鑑』によれば伴氏と共に安芸武田氏の城代家老を務め、代々品川左京亮を名乗り重臣として活動した。 安芸武田氏滅亡後は毛利氏に仕えた。その後は長州藩士として続き、萩藩閥閲録によれば長州藩の典医でありこちらも当主は代々品川左京亮を名乗った。 また、品川弥二郎の父親、品川弥一衛門はこの家の足軽であったため、品川の名字を名乗った。 また、安芸品川氏として第二次月山富田城の戦いに山中幸盛との一騎討ちをした品川将員が居るが、こちらは石見国益田家家臣紀氏庶流安芸品川氏とあるが、萩藩閥閲録における安芸品川氏は前述の安芸武田氏の流れとあり、品川将員は安芸武田氏とされることが多いが、紀氏品川氏の流れと考えるのが妥当である。
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