安殿親王との不倫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 08:40 UTC 版)
まず、安殿親王が縄主と薬子の長女を「妃にほしい」と申し入れてきた。縄主は娘が皇太子妃になることを期待し喜び、吉日を選んで娘を東宮御所へ送った。長女はまだ幼く、世間知らずで宮中のしきたりにも慣れていないので一人では心細かろうと、輿入れには縄主がすすめて薬子を同行させた。しかし安殿親王は「妃にほしい」と願った娘よりもその母である薬子に夢中になり、いつまでも引きとめて帰そうとしなかった。安殿親王はこのころ、30歳の壮年期であった。やがて「安殿太子は臥所の両脇に母と娘をはべらせ、夜ごと三つどもえの痴戯にふけっておられるそうだ」と噂に尾ひれがつき、恥ずかしくて縄主は出仕できず自邸に引きこもってしまった。桓武天皇は立腹し、東宮御所に乗り込んで親王に薬子と関係を絶つように言い、薬子には夫のもとに帰るよう厳命した。 桓武帝の怒りに薬子がどのような反応をしたか、史料はないが、作家の杉本苑子は『海の翡翠』の中で描いたように、桓武帝が親王時代に義母と関係を持った過去を指摘したのではないかと予想している。母の身分が低かった桓武帝が即位し権勢をふるった背景には、薬子ら藤原式家の力が大きく、複雑な事情が存在していた。安殿太子が命に従わず薬子を縄主のもとに帰さず別邸に移して夜ごと通うのを隠そうとせずとも、そのままにしたことからも、その説には説得力がある。
※この「安殿親王との不倫」の解説は、「藤原薬子」の解説の一部です。
「安殿親王との不倫」を含む「藤原薬子」の記事については、「藤原薬子」の概要を参照ください。
- 安殿親王との不倫のページへのリンク