安楽岡一雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 08:37 UTC 版)
安楽岡 一雄 (安樂岡 一雄)
やすらおか かずお
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生年月日 | 1947年5月10日 |
出生地 | 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市) |
没年月日 | 2017年2月12日(69歳没) |
出身校 | 法政大学経済学部経済学科卒業 |
所属政党 | (自由民主党→) 無所属 |
称号 | 旭日小綬章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2007年4月22日[1] - 2017年2月12日 |
安楽岡 一雄(安樂岡 一雄[2][3][4][5]、やすらおか かずお、1947年〈昭和22年〉5月10日[2][6][5] - 2017年〈平成29年〉2月12日[3])は、日本の政治家。館林市長(3期)。群馬県議会議員(3期)。正五位。
来歴
群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身[2][5]。群馬県立館林高等学校卒[2][7]。1971年、法政大学経済学部経済学科卒業[2]。坂村吉正衆議院議員、谷津義男衆議院議員らの秘書、有限会社安楽岡代表取締役を経て、1995年に館林選挙区から群馬県議会議員選挙に出馬し初当選[2][3]。これ以降連続3期当選[3]。この間、自由民主党群馬県議団長、自由民主党群馬県支部連合会総務会長などを歴任[3]。
2007年、館林市長だった中島勝敬が病気のため市長を辞職したことに伴い、県議会議員を辞職して市長選に出馬。安楽岡のほかに立候補者が出なかったため、無投票当選を果たした。
市長を務めていた2011年に「たてばやし市民計画2020」が策定され、「水と緑と人が輝く共創都市たてばやし」という目標を掲げた[3]。2016年につつじが岡公園の歴史的・文化的価値を踏まえ、館林市つつじを愛し保護する条例を制定[3]。
群馬県ボート協会副会長、館林商工会議所顧問も務めた[3]。
市長3期目の在職中だった2017年2月12日、多臓器不全のため死去[8]。69歳没。死没日付をもって正五位に叙され、旭日小綬章を追贈された[9]。翌2018年3月、館林市名誉市民に推挙[3][5]。
脚注
出典
- ^ 市長の部屋 歴代市長の紹介館林市
- ^ a b c d e f あさを社 編『県政風雲録』 2巻《二十一世紀への架け橋》、あさを社、2000年1月30日、140-141頁。
- ^ a b c d e f g h i 館林市史編さん委員会 編『館林市史別巻 館林歴史人物事典』館林市、2024年3月31日、215頁。
- ^ 館林市議会だより - 館林市議会 2017年5月15日 (PDF)
- ^ a b c d “館林市名誉市民|館林市”. www.city.tatebayashi.gunma.jp. 2025年7月25日閲覧。
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、94頁。
- ^ “館高東京同窓会会報 第25号 平成23年2月” (PDF). tateko-hs.gsn.ed.jp. 群馬県立館林高等学校. p. 4. 2023年8月26日閲覧。
- ^ 【速報】安楽岡一雄館林市長が死去 現職市長は戦後6人目 上毛新聞ニュース 2017年2月12日
- ^ 『官報』第6981号(平成29年3月21日付)11頁参照
公職 | ||
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先代 中島勝敬 |
![]() 2007年 - 2017年 |
次代 須藤和臣 |
固有名詞の分類
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