孔融の子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:48 UTC 版)
孔融には二人の子がいた。孔融が処刑されたとき、9歳の男子と7歳の女子が幼年の故に、目こぼしされ他家に預けられていた。二人の子供が碁を打っている最中に父が逮捕されたが、二人ともびくともしなかった。左右の者が「お父さまが縛られたというのに、どうして平気でいるのかね」と聞いたところ、「巣が壊されて、卵だけ割れずに残ることがあるものか(自分も覚悟している)」と答えた。また、預けられた家の主人が肉のスープをくれた。兄が、がつがつとそれを飲んだのを見て、妹は「今度の災難、私たちも長くは生きられないのに、よくも呑気に肉の味がわかるわね(肉の味云々は孔子が古代音楽を聞いて三ヵ月間肉の味がわからなかった故事を含む)」と言った。それを聞いた兄はわっと泣き出して飲むのをやめたという。これを人伝いに聞いた曹操はとうとう二人を殺した。捕り手が来た時、妹は兄に「もし死んでも物がわかるなら、父さま母さまに会えるわね。嬉しいじゃない」といった。子らは自分から首を差し伸べて斬られた。それを見て、痛ましがらぬ者はいなかったという。
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