奈良原県知事の視察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 21:13 UTC 版)
1903年、沖縄県土地整理事務局はこれまで不正確であった大東諸島の形状、面積を実測することになった。6月15日、沖縄県土地整理事務局の長官である県知事奈良原繁自ら調査団を率い、島尻郡長、事務官、測量員、漁業関係の視察者らが那覇港から大東諸島へと向かった。 6月17日朝、沖大東島沖に到着し、調査員は艀に乗って沖大東島に上陸した。島内の草地ではおびただしい数の海鳥が産卵し、雛を育てていたという。11時から測量を行い、午後3時半には測量を終え、撤収作業の後、午後7時には沖大東島を離れた。 測量の結果、島の面積は北大東島の約12分の1に過ぎないとした。北西部が最も標高が高く、そこから北東方向と南東方向に丘陵地が延びていて、その間は比較的平坦になっていた。また海岸部は全て断崖となっていて、海岸線にはサンゴ礁が発達していた。
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