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大野久 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 01:12 UTC 版)

大野 久
基本情報
国籍 日本
出身地 茨城県取手市
生年月日 (1960-08-15) 1960年8月15日(64歳)
身長
体重
176 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 ドラフト5位
初出場 1985年6月11日
最終出場 1995年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

大野 久(おおの ひさし、1960年8月15日 - )は、茨城県取手市[1]出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者、教員。

来歴・人物

プロ入りまで

取手二高では、2年生の時に中堅手として1977年夏の甲子園に出場。2回戦で宇都宮学園の見形仁一投手(専大)に抑えられ敗退。

1978年はエースとして夏の甲子園に連続出場。1回戦で岡山東商に敗れる[1]東洋大学経営学部へ進学。東都大学リーグではエース仁村徹を擁し、1982年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝 で法大に敗れ準優勝。リーグ通算95試合出場、337打数96安打、打率.285、8本塁打、37打点。ベストナイン2回。卒業後は日産自動車に入社。

1984年都市対抗に出場し、決勝で日本鋼管を降し優勝[1]。この試合では適時打、本塁打を放ち活躍した。同年の第28回アマチュア野球世界選手権の日本代表に選出されている。

現役時代

1984年のドラフト5位で阪神タイガースに入団[1]1987年から一軍に定着、俊足のスイッチヒッターとして活躍する。

1988年に監督に就任した村山実から、中野佐資和田豊との3人で少年隊と呼ばれた。同年には、シーズン途中で移籍した北村照文の後継として、一番打者、中堅手の定位置を獲得、初めて規定打席(23位、打率.254)にも到達する。一方で、リーグ3位の三振(103)も喫する。

1989年は打率.303(7位)の好成績を記録[2]

1990年までレギュラーの地位を守る。

1990年オフ、福岡ダイエーホークスとの4対5のトレードで池田親興らと移籍(阪神からは大野、池田の他、渡真利克則岩切英司が、ダイエーからは藤本修二吉田博之西川佳明近田豊年右田雅彦が移籍)[1]。この年の5月~6月頃には既に新聞などで自分がトレード要員という報道が出ていたことで、その時から「自分はダイエーへ行くんだ」という気持ちになっていたとのことで「自分を欲しい球団があると思うと気持ちをプラスに持っていける」「やったらやっただけ評価してくれる球団というのは大きな魅力」と思い、トレードの話が正式に出た時も冷静に受け止められたと話していたことがある[3]

1991年はチャンスメーカーとして活躍し、初の盗塁王となった[1]

翌年以降は打撃不振で出番が減っていき1994年には自身初の一軍出場無しに終わる。同年オフに自由契約となり、中日ドラゴンズにテスト入団。

1995年限りで現役引退[1]

引退後

1996年から1997年は中日2軍外野守備走塁コーチ。退団後は中央学院大学へ入学し、教職資格を取得。卒業後、2000年からは東洋大牛久高にて社会の教師として教鞭を執る。規則に則った教職期間を終え、2003年から2013年3月まで同校の野球部監督を務めた。

2014年にオーストラリアで野球指導者のライセンスを取得。同年6月より、オーストラリア野球連盟主催の15歳以下オーストラリア代表のセレクションコーチ(外野手)、6月より18歳以下オーストラリア代表でコーチを務める。また、同年7月よりオーストラリアのロビーナ高等学校の野球科コーチも務めていた。2015年、ヤングリーグ全日本少年公式野球連盟技術顧問就任。2016年、侍ジャパンU15コーチ就任。2018年、アメリカ独立リーグニュージャージー・ジャッカルズのアシスタントコーチに就任した。


2018年11月から大阪市教育委員会 部活動指導員。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1985 阪神 14 15 15 3 3 0 0 1 6 1 2 0 0 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .400 .600
1986 24 13 13 4 2 0 0 1 5 1 1 1 0 0 0 0 0 6 0 .154 .154 .385 .538
1987 82 101 95 14 22 5 3 0 33 8 5 3 2 1 3 0 0 17 0 .232 .253 .347 .600
1988 130 571 512 64 130 23 5 7 184 42 24 12 10 4 39 0 6 103 4 .254 .312 .359 .671
1989 125 460 403 53 122 16 2 4 154 26 22 9 16 1 36 0 4 66 2 .303 .365 .382 .747
1990 117 403 360 48 89 17 4 4 126 26 16 4 11 2 26 1 4 73 7 .247 .304 .350 .654
1991 ダイエー 130 547 456 72 132 22 1 1 159 25 42 11 29 1 59 1 2 70 7 .289 .373 .349 .721
1992 96 298 245 30 51 11 1 3 73 17 18 4 28 2 22 0 1 54 2 .208 .274 .298 .572
1993 87 148 131 13 28 2 0 1 33 9 6 0 0 0 16 0 1 27 3 .214 .304 .252 .556
1995 中日 28 33 27 4 5 2 0 1 10 5 2 1 2 1 3 0 0 5 0 .185 .258 .370 .628
通算:10年 833 2589 2257 305 584 98 16 23 783 160 138 45 98 12 204 2 18 424 25 .259 .324 .347 .670
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 33 (1985年 - 1988年)
  • 2 (1989年 - 1994年)
  • 40 (1995年)
  • 89 (1996年 - 1997年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、109ページ
  2. ^ 年度別成績 1989年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2018年7月30日閲覧。
  3. ^ 別冊ベースボール『よみがえる1990年代のプロ野球 PART8』(2021年8月刊)66頁(週刊ベースボール 1991年10月28日号掲載『オト松見参!球Qトーク』の再録)
  4. ^ 過去20年で最高の外野手は誰だ?~記録で見る真実の「守備力」~プロ野球 - Number Web - ナンバー、2016年3月17日閲覧。

関連項目

外部リンク




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