大臣就任、野党時代
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「ウィジャヤナンダ・ダハナーヤカ」の記事における「大臣就任、野党時代」の解説
1965年総選挙ではスリランカ自由社会主義者党から立候補し、再選した。この政党は統一国民党(UNP)と連立政権を構成し、ダハナーヤカは内務大臣に任命された。1970年総選挙ではUNP候補として再選したが、下野した。彼は新憲法に対して党議拘束をかけないように要請したが、それが拒否されたためUNPを離党した。1977年総選挙では無所属として立候補したが、UNP候補のアルバート・デ・シルバに敗れた。しかし彼は選挙結果について訴訟を提起し、最高裁まで争ったのちに勝訴。1979年にシルバを議席から追い出すことに成功した。ダハナーヤカはその後に行われた補欠選挙で当選し、1986年5月から1988年までジュニウス・ジャヤワルダナ政権で協力大臣を務めた。1989年総選挙では、当初UNPの候補人リストに載せられていたがその後名前が削除され、再選は果たせなかった。これを機に、ダハナーヤカは政界から引退した。
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