大羽奎介とは? わかりやすく解説

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大羽奎介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/21 01:13 UTC 版)

大羽 奎介(おおば けいすけ、1935年昭和10年)1月22日 - 2002年平成14年)8月29日)は、日本の外交官。元駐クロアチア大使

略歴

1935年(昭和10年)1月22日、満洲国にて生まれる。鹿児島ラ・サール高校卒業。1959年(昭和34年)に法政大学社会学部を卒業し、法政大学大学院博士課程を中退する。

ベオグラード大学留学後、1974年(昭和49年)に外務省に入省する。二度にわたるユーゴスラビア勤務を経て、欧亜局東欧課地域調整官に就任する。

1995年(平成7年)にユーゴスラビア大使館参事となり、1998年(平成10年)に駐クロアチア大使に就任する。

2002年(平成14年)8月29日に死去、67歳。

人物

旧ユーゴスラビア諸国で日本人外交官として20年以上を過ごし、和平と復興に貢献したとして、セルビア共和国首都ベオグラードに名を冠した「ケイスケ・オオバ通り」ができている。外務省一の旧ユーゴ通として知られており、「死後は愛着あるユーゴの地で眠りたい」と遺言し、遺骨はベオグラードの墓地に葬られた[1]

共訳

  • 『社会党と政権-フランスの経験と反省』P.ラマディエ(著)、高橋正雄(翻訳)(ダイヤモンド社、1963)

脚注

  1. ^ 四国新聞2004/11/03

参考




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