大東義徹 おおひがし ぎてつ
生年が天保14年(1843)とする説もある。滋賀生まれ。政治家。彦根藩士で小西姓であったが、後に大東家を名乗る。維新後、藩の少参事となる。明治4年(1871)岩倉遣外使節団に同行し欧米を視察。司法省に出仕し権少判事となるが辞職し、7年(1874)彦根に「集議社」を設立。10年(1877)西南戦争で西郷隆盛軍に投じ入獄。23年(1890)から35年(1902)に衆議院議員(連続当選7回)。31年(1898)には隈板(第1次大隈)内閣の司法相となった。
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