大字澤良宜東
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 01:29 UTC 版)
古来、澤良宜郷の中に属しており、澤良宜東村と称していた。旧石高は519石9斗であった。現在の茨木市沢良宜東町・東奈良周辺である。この村に塁堡の址があったとされているが、どこにあったのかは定かでない。現在、佐和良義神社に隣接する茨木市美沢町美沢公園内に沢良宜城址の石碑が建っている。 1623年(元和9年) 澤良宜東村と称する。 寛文年間より徳川代官の支配地となった。 1756年(宝暦6年) 徳川代官支配地が大坂城代井上正経の役知となる。 1760年(同10年) 大坂城代松平康福の役知に変わる。 1763年(同13年) 徳川代官支配地が土井利里の領地になる。 1871年(明治4年)6月 (旧暦) 土井氏領が上知され、古河藩の支配にうつる。 同年7月14日 (旧暦) 旧土井氏領古河藩が廃藩置県により古河縣に変更 同年11月15日 (旧暦) 旧土井氏領印旛縣の管轄に変更 同年11月20日 (旧暦) 旧土井氏領が大阪府の管轄となった。 1880年(明治13年)7月2日 澤良宜濱村・澤良宜西村・鶴野村と連合して1村に独立。
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