大字目垣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:04 UTC 版)
目垣村と称していた。旧石高は702石5斗2升3合であった。現在の目垣・南目垣・新堂1-2丁目の一部と新堂3丁目に該当する。 1665年(寛文5年)宮崎七郎右衛門の領地となる。 1764年(宝暦12年)宮崎氏の領地のうち、215石3斗3合が土井利里の領地となる。 1868年(慶応4年)5月24日 長谷川氏領地が大阪府司農局の支配に移る。 同年6月 土井氏領が上地され、古河藩の支配にうつる。 1868年(慶応4年)5月24日 旧宮崎氏領が大阪府司農局の支配に移る。 同年6月8日 旧宮崎氏領 大阪府司農局の分割により北司農局管轄になる。 1869年(明治2年)正月20日 旧宮崎氏領 北司農局が摂津縣設置により、摂津縣の管轄になる。 同年8月2日 兵庫縣の管轄に変更 同年11月20日 旧宮崎氏領が大阪府の管轄となる。 1872年(明治4年)7月14日 旧土井氏領古河藩が古河縣に変更 同年11月15日 旧土井氏領印旛縣の管轄に変更 同年11月20日 旧土井氏領が大阪府の管轄となったことにより、全村同一管轄となる。
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