大和人椿井某
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1926年、近江栗太郡志卷五にて中川泉三は「興福寺官務牒疏」を始めとして近江に残る絵図が椿井政隆の手になる偽作であることを把握していると馬部隆弘は指摘している。 興福寺官務牒疏は大和人椿井某より紅葉山文庫に獻納せし舊記にて……其記する所と對照すれば正鵠なるあり、又事實と反するものあり、全部を信據すべき記録に非ざるを知る、按ずるに正確の原本ありて後に地法人の依頼により故意に僞説を記入したるものゝ如し。……是れ前記獻納者たる椿井某が制作の遺物にして寛政文化の頃近江各郡に巡りて地方の依頼を受け其地を相して編成したるものなり、…… — 中川泉三、近江栗太郡志
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