大友氏の筑後支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/13 12:24 UTC 版)
室町時代の西牟田氏は、豊後国大友氏傘下のいわゆる「筑後十五城」の城主の一人であった(江戸時代より前は、領主のことを「藩主」とは言わず「城主」と表現した)。 筑後の国人領主に対する大友氏の支配は、苛斂誅求を極めた。大友氏は、領国中どこで戦いが始まっても彼らに出兵を命じ、筑前国、肥前国、肥後国はおろか豊前国や日向国の奥地までも従軍させ、南征北伐に駆り立てている。また、任官、叙位、家督相続、城の移転、改造等についてすべて大友家の裁可を得なければならないだけでなく、大友家発行の証札なしには他国はもちろん自国内ですら自由に通行ができなかった。
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