大友氏族古庄氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/31 00:41 UTC 版)
朽網氏は「齋院次官藤原親能の第三子親直は筑井左衛門尉と称す」(「大友系図)とある筑井親直(あるいは筑井親茂。古庄親直とも)の子の古庄重能(重吉)が建久7年に大友能直の代官として九州に下り、朽網郷に土着したことにはじまるとされる。重能は藤原秀郷の5代後裔と称し、大友能直の兄弟とされ、能直も幼児の頃は古庄能直と名乗っていたとされる。また、一説には豊後大野氏の支流ともされている(途中で養子となった可能性もある)。重能から19代後の朽網親満の代になって永正13年に大友氏に叛き、大友義鑑に討たれて滅びた。
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