大友氏支流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 16:25 UTC 版)
大友氏10代当主の大友親世の頃にその支配下に属し、さらに光種の7代後の高橋長種に子がなかった。高橋氏旧臣たちの懇請により大友一族の一万田親泰(親敦)の子の鑑種が高橋氏の名跡を継ぎ、高橋氏は大蔵党氏族から大友一族の一万田系に変わり、以降、大友氏配下の家系となる。宝満城、岩屋城を治める。 高橋鑑種は武勇にすぐれ、弘治3年(1557年)に秋月文種が大友氏に叛(そむ)いた時、筑後の蒲池鑑盛、田尻鑑種、草野鎮永らが出陣したが、鑑種は大友軍の指揮官となって活躍した。この時の功により鑑種は筑前国御笠郡に2千町を与えられ、それまでの筑後国御原郡下高橋から移り、宝満山城を本拠地とし、大友氏の筑前守護代(城督)となる。
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