大友氏の家臣として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/09 03:24 UTC 版)
天文19年(1550年)の二階崩れの変の際、義鑑の遺書に雄城治景・吉岡長増・田北鑑生・臼杵鑑続・志賀親守と共に連署。以後は大友義鎮の加判衆(家老)となる。同年、この大友家の混乱に乗じて隈本城に入った菊池義武を佐伯惟教らと共に攻め肥後国を平定した。翌20年(1551年)南関城に入り肥後方分となる。
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