大前氏の統治と斧渕城とは? わかりやすく解説

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大前氏の統治と斧渕城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 22:56 UTC 版)

東郷町斧渕」の記事における「大前氏の統治と斧渕城」の解説

高城郡はじめとして日置郡薩摩郡などの島津荘寄郡没官御領地頭となっていた千葉氏千葉常胤権力失い国司制の衰退とともに大前氏(おおくま)の大前道友が高城郡東郷斧渕城を構え東郷高城祁答院統治した斧渕城は別名を国司城・古城といい、司野からかつての薩摩川内市立東郷小学校に至る丘陵地帯にあった。斧淵城(國司古城)について三国名勝図会では以下のように記述している。 國司古城淵村にあり、又斧淵城ともいふ、往古國司大前代々居城なりといふ、今は大前氏を古城殿と呼へり、大前氏の事跡鶴岡城の下に詳なり、建久八年十二月鎌倉御教書に、在國司内裏大番來春云云と見いしは、爰に居住せし、在國司道胤なり。 —三国名勝図会巻之十二 大前氏は平安時代末期から南北朝時代にかけての313年間にわたり、東郷別符高城郡薩摩郡祁答院伊集院入来院甑島などを統治した。現在では大前氏の供養塔とされる塔が古城跡残っており、「古城殿石塔」として薩摩川内市指定文化財となっている。大前氏は室町時代正平8年1353年)に田海車内現在の田海町)に居城していた渋谷氏末裔車内氏が東郷統一しその後斧渕鶴岡城転居し車内の子孫は東郷氏名乗ったそれまで東郷領主であった大前氏の長男は東郷氏次男・三男入来院氏家臣になったとされる

※この「大前氏の統治と斧渕城」の解説は、「東郷町斧渕」の解説の一部です。
「大前氏の統治と斧渕城」を含む「東郷町斧渕」の記事については、「東郷町斧渕」の概要を参照ください。

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