大分県が行う国際障害者年記念事業としての開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 08:35 UTC 版)
「大分国際車いすマラソン」の記事における「大分県が行う国際障害者年記念事業としての開催」の解説
大分県において1981年の国際障害者年行事を検討する中で、国道197号と並行して走る県道大在大分港線が国道のバイパスとして機能していることから、これらの道路を組み合わせて新たなコースを設定すれば、マラソンは実施可能と判断。中村博士と協力し、車いすランナー単独のマラソン大会を開催することとした。 しかし、当時は車いす使用者のマラソン競技に関する医学的データ等が存在しなかったため、試験的に21.0975kmのハーフマラソンから開催することとなった。1981年に109人、1982年に103人が完走し、選手の間から「フルマラソンを開催して欲しい」という声が大きくなり、1983年からフルマラソンを開催。ハーフの部も登竜門として、当分の間は開催することとなった。なお、中村博士はフルマラソンを見届けたのち、1984年に他界。
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