大伴今人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/13 06:53 UTC 版)
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| 時代 | 平安時代初期 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 不明 |
| 官位 | 従五位上・出羽守・征夷副将軍 |
| 主君 | 嵯峨天皇 |
| 氏族 | 大伴氏 |
大伴 今人(おおとも の いまひと)は、平安時代初期の貴族。官位は従五位上・出羽守・征夷副将軍。
経歴
備□守[1]赴任時、部下の同国掾・河原広法と共に、大規模な治水・灌漑を行うために山を穿ち岩を破って巨大な用水路を完成させた。百姓たちはこの工事の意図がわからず最初は非難の声を上げていたが、完成後は大きく利益を蒙ったことから、この大水路を伴渠(大伴さんの水路)と呼び、「魏の西門豹が生き返ったとしても出来ないことだ。」と彼を称賛したという[2]。
また、蝦夷征討にも従事し、弘仁2年(811年)3月に出羽守として、計略を立てて勇敢な俘囚300余人を率い雪の中を進軍し、奇襲により爾薩体の蝦夷60余人を討ち獲る。今人の戦功はすぐに広まり名は長く伝わったという[2]。翌月に征夷副将軍に任じられ、征夷将軍・文室綿麻呂の下で引き続き蝦夷征討に従事した。同年12月には征討の功績により従五位下から従五位上に昇叙されている。
官歴
『日本後紀』による。
脚注
参考文献
- 大伴今人のページへのリンク