坂上鷹養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/17 15:26 UTC 版)
坂上 鷹養(さかのうえ の たかかい、生年不詳 - 弘仁8年閏4月16日(817年6月4日))は、平安時代初期の貴族。左京大夫・坂上苅田麻呂の六男。官位は従四位下・武蔵守。
経歴
嵯峨朝初頭の大同4年(809年)従五位下に叙爵し、翌弘仁元年(810年)薬子の変終結後に民部大輔に任ぜられる。まもなく陸奥介に任ぜられ、陸奥出羽按察使・文室綿麻呂に従って蝦夷征討に参画する。弘仁2年(811年)4月に大伴今人・佐伯耳麻呂とともに征夷副将軍に任ぜられると、10月に征討軍は一定の戦果を挙げ、12月には蝦夷征討の功労として大伴今人・佐伯耳麻呂とともに昇叙され、鷹養は従五位上となった。
その後、弘仁4年(813年)正五位下・武蔵守、弘仁7年(816年)従四位下と引き続き地方官を務めながら順調に昇進している。弘仁8年(817年)閏4月16日卒去。最終官位は散位従四位下。
官歴
『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 大同4年(809年) 10月29日:従五位下
- 弘仁元年(810年) 9月27日:民部大輔
- 弘仁2年(811年) 3月20日:見陸奥介。4月17日:征夷副将軍。12月13日:従五位上
- 弘仁4年(813年) 正月7日:正五位下。正月10日:武蔵守
- 弘仁7年(816年) 正月7日:従四位下
- 弘仁8年(817年) 閏4月16日:卒去(散位従四位下)
系譜
脚注
参考文献
- 坂上鷹養のページへのリンク