多のパラドックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 04:16 UTC 版)
「ゼノンのパラドックス」の記事における「多のパラドックス」の解説
プラトンは、対話編でゼノンに次のように語らせている。 「そこでわたしのこの書物は、それら存在の多を主張する人たちに対する反論の形をとることになる。そしてかれらにも同じ難点、いや、もっと多くの難点があることを返礼として指摘してやるのです。つまりかれらの考え方の前提となっている、もしも存在が多ならばということは、これにひとが充分な検討を加えるなら、存在を一であるとする前提(仮定)よりも、もっとおかしな事を許容しなければならなくなるだろう、ということを明らかにするのがこの書物のねらいなのです。」 以下は、多とその他の論考を、断片などから再現しパラドックス風に整形したものである。 似て且つ似ていない 存在が多であれば、果然それは似ていて似ていないということにならなければならない。しかしそれは不可能である。なぜなら、と続けるプラトンは、この説が受け入れられると「存在の多」が否定されると確認する。次いで、この説の前提を自説のイデアの分有論によって否定、と議論を続ける。そこには、ゼノンの立論そのものの解説はない。 大であり且つ小である もし多くの事物があるならば、それらは小さく且つ大きくなければならない、サイズがないほど小さく、制限されないほど大きく。 限定され且つ無限定である もし多くの事物があるならば、それらはちょうどあるだけあるものでなければならない、多くでもなく少なくでもなく。すなわち限界がある。ところが、事物の間には別の事物がなければならない。すべての事物についてそうなのだから、限界はない。
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