壬申の乱以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:52 UTC 版)
天智天皇の皇子の大友皇子(弘文天皇)の正妃となり、天智天皇8年(669年)頃に葛野王を産む。しかし、天武天皇元年(672年)に起こった壬申の乱では、父と夫が戦うという事態になってしまう。『扶桑略記』『水鏡』『宇治拾遺物語』によれば、この際に父である大海人皇子に情報を流したとされる。しかし、『宇治拾遺物語』(巻15・1)の「鮒の包み焼きに密書を隠した」という逸話に代表されるスパイ説は、鮒の包み焼きが近江の名物であったことや、話の最後に登場する高階氏が高市皇子の後裔であることから、後世の人間による創作の可能性が極めて高い。 ウィキクォートに十市皇女に関する引用句集があります。
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