堺・駿河屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:20 UTC 版)
大阪府堺市(和泉国堺州甲斐町)。 「大阪・駿河屋」に勤めた初代鳳惣助が主人に認められて暖簾分けをされて大阪・心斎橋で開業した。 後に堺・甲斐町(現在の堺市)の開口神社の近くにも出店した。 惣助の長男宗七が心斎橋、次男善六が堺の店を継いだが、善六が店をやめることになったため、宗七が心斎橋店を閉店して堺店を継承した。 1879年(明治11年)12月7日に与謝野晶子は当店の主人であった鳳宗七とつねの三女として誕生し、子供時代には店と手伝っていたといわれている。 他店との無用な競合を避けるため、「夜の梅」などを作り始めたのは当店であるとされている。 2015年(平成27年)3月24日に開館した堺市堺区宿院町西2丁にある「さかい利晶の杜」の2階に開設された晶子記念館に与謝野晶子の生家として店の一部が復元・展示された。 現在は廃業。(跡地は大道筋になっており、「与謝野晶子生家跡」の碑が建っている。)
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