報恩寺 (綾瀬市)とは? わかりやすく解説

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報恩寺 (綾瀬市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 00:15 UTC 版)

報恩寺 ほうおんじ
本堂
所在地

神奈川県綾瀬市寺尾南2-10-1

位置 北緯35度27分02.7秒 東経139度25分33.7秒 / 北緯35.450750度 東経139.426028度 / 35.450750; 139.426028座標: 北緯35度27分02.7秒 東経139度25分33.7秒 / 北緯35.450750度 東経139.426028度 / 35.450750; 139.426028
山号 陽広山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 慶長7年(1601年
開山 朝厳存夙
開基 後藤右近
公式サイト 曹洞宗陽廣山報恩寺
法人番号 7021005004886
報恩寺
報恩寺 (神奈川県)
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山門

報恩寺(ほうおんじ)は、神奈川県綾瀬市に所在する曹洞宗寺院

歴史

1601年慶長7年)、後藤右近の開基である。ただ一説によると、鎌倉時代に当地を所領としていた渋谷氏が創建した「法音寺(ほうおんじ)」を継承したともいわれている[1]

蓼川観音堂

境内には、「蓼川観音堂」と呼ばれる小堂がある。元々は別の場所にあったが、1939年昭和14年)、厚木基地の建設に伴い移設された。「蓼川(たでかわ)」とは、旧所在地の地名に由来する[1]

おたすけ観音

当寺第27世住職太嶽洞源は、徴兵により陸軍に入営、台湾の生蕃(台湾原住民)討伐に参加した。作戦中、太嶽洞源は滝の中に観音菩薩を拝し、「観音様がついていてくださるから、敵の弾に当たる事がない。」と確信、そのご利益もあってか、無事復員することができた。当寺帰還後、太嶽洞源は観音様に感謝し、多くの石造観音を彫り境内に安置した。第二次世界大戦中は、銃弾が当たらない「おたすけ観音」「弾除観音」として、多くの参詣者が訪れたという[1][2]

交通アクセス

脚注

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩』 上(川崎・横浜・北相模・三浦半島)、山川出版社〈歴史散歩 ; 14〉、2005年5月。ISBN 4634246147 

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