報恩寺 (常総市)とは? わかりやすく解説

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報恩寺 (常総市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 01:27 UTC 版)

報恩寺
所在地 茨城県常総市豊岡町丙1586−1
位置 北緯36度01分52.8秒 東経139度58分07.8秒 / 北緯36.031333度 東経139.968833度 / 36.031333; 139.968833座標: 北緯36度01分52.8秒 東経139度58分07.8秒 / 北緯36.031333度 東経139.968833度 / 36.031333; 139.968833
山号 高龍山
院号 謝徳院
宗派 真宗大谷派
創建年 建保2年(1214年
開山 性信
中興年 文化3年(1806年
別称 坂東報恩寺、下総報恩寺
報恩寺
報恩寺 (茨城県)
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報恩寺(ほうおんじ)は、茨城県常総市にある真宗大谷派寺院

歴史

1214年建保2年)、性信によって開山された。性信は親鸞の高弟「二十四輩」の一人で、俗名「大中臣基久」といい、鹿島神宮宮司を務める大中臣宗基の子である。基久は法然に弟子入りして出家、「性信」と称することになった。法然は弟子の親鸞に性信を託し、以降は親鸞に師事することになった。承元の法難でも越後国配流された親鸞に同行することになった[1]

後に罪は赦免され、親鸞は関東地方に赴き、布教活動を開始した。親鸞が関東に向かったのは性信らの根拠地があったことによる。親鸞は下総国岡田郷横曽根(現・茨城県常総市)の廃寺状態だった真言宗の寺「大楽寺」を貰い受け、後事を性信に託した。これが当寺の起源である。性信が率いた浄土真宗門徒を「横曽根門徒」という[1]

1600年慶長5年)の戦乱で焼失したため、江戸に寺基を移した。これが現在の東京都台東区にある報恩寺である。一方、旧地にも1806年文化3年)に再興されている。これが当寺である。結果として、起源を同じくする寺院が東京と茨城に二つ存在することになった[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 報恩寺(下総)真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」



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