報恩寺 (豊川市)とは? わかりやすく解説

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報恩寺 (豊川市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 05:07 UTC 版)

報恩寺
所在地 愛知県豊川市小坂井町平口76-1
位置 北緯34度47分44秒 東経137度21分35秒 / 北緯34.79556度 東経137.35972度 / 34.79556; 137.35972座標: 北緯34度47分44秒 東経137度21分35秒 / 北緯34.79556度 東経137.35972度 / 34.79556; 137.35972
山号 大同山
宗旨 曹洞宗
本尊 地蔵菩薩
創建年 大同2年(807年
正式名 大同山 報恩寺
札所等 三河国准四国八十八カ所14番
穂の国観音霊場3番
文化財 絵馬・俳諧奉納額・鰐口(市指定)
法人番号 4180305003800
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報恩寺(ほうおんじ)は愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院[1]山号は大同山[2]本尊地蔵菩薩[3]

歴史

大同2年(807年)の創建で[3]、開基は報恩法師と伝わる[2]。元々は真言宗の寺であったが、弘治2年(1556年)に東漸寺4世・大甫一巨によって曹洞宗に改められた[2][3]

札所

  • 三河国准四国八十八カ所第14番[4]
  • 穂の国観音霊場第3番

※ また、江戸時代に開創された三河西国三十三観音霊場の札所であったが、霊場としては廃れた。

文化財

報恩寺の絵馬

寛永7年(1630年)に吉田村の長松が奉納した絵馬で、描かれている白馬は狩野元信の手によるものと伝わる。縦61.5センチ、横90.3センチあって市内に残る絵馬としてはかなり古い。絵馬から馬が抜け出して周辺の畑で麦を食い荒らしたことから寺の住職が馬の脚に灸をすえて、それ以降は畑を荒らすことは無くなったという言い伝えが残る。

報恩寺の俳諧奉納額

元禄14年(1701年)のものとされる奉納額。

報恩寺の鰐口

明応7年(1498年)のものとされる鰐口

1998年平成10年)3月3日、絵馬・奉納額・鰐口の3点は市の有形文化財に指定された[5]

脚注

  1. ^ '報恩寺”. 曹洞禅ナビ. 2021年4月29日閲覧。
  2. ^ a b c 近藤(1980年)、pp.186 - 187
  3. ^ a b c 報恩寺”. 豊川市 (2013年1月4日). 2021年4月29日閲覧。
  4. ^ 三河国准四国八十八カ所について”. 冨賀寺. 2021年4月30日閲覧。
  5. ^ 豊川市の指定文化財一覧”. 豊川市 (2019年12月20日). 2021年4月29日閲覧。

参考文献




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